日本食文化の代表格として「すし」は今や世界のいたるところで食されるまでになった。近年、和食が体にやさしい食べ物であることから、アメリカはもとよりヨーロッパやオーストラリアと大陸への進出も目覚ましい。いわんや外国から日本のすしとは少々違う形や味のすしが逆輸入され日本のすし店で販売される商品も登場しているありさまである。すでに日本だけのすし食文化ではなく、世界の食の一部でもある感じがする。

 米食文化がいかに体に良いかが最近クローズアップされ米を使った「すし」の良さが再認識されたのは確かだ。
日本の「すし」は古来より、全国各地でその地方の郷土ずしとして形を変え、進化してきた。近江の「鮒ずし」、これがすしの起源として分化していった。いわゆる「馴れずし」である。安土・桃山時代のころから現代のすしの基本が形成され、明治、大正、昭和と急速に発展し、近代のすしへとなったのであろう。

 今では大別すると、関西ずしと関東ずしに分かれる。関西ずしは箱ずし、巻きずしの様な道具を主に使い、日持ちをさせる様に作られた方や、関東ずしは江戸前の海でとれる魚介類を生で新鮮な内に食する江戸っ子らしい食のしかたではなかったか。

 地方に行くと関西、関東両方を売る店も多く、区別のない状態である。大阪では通称「大阪すし」、バッテラ、箱ずし、巻ずしの専門店も多く見かけ、東京ではもっぱらにぎりずしが大半を占める。

 歴史を振り返れば、最初は行商して売っていたすしも屋台から内店へと変わり、今では回転ずしなるものが進出し、すしの食し方も随分、違ってきたものである。パックのすしもデパ地下、スーパー、コンビニ等で安価なすしが氾濫し、益々大衆ずしへ変貌しつつある。それだけ、高級食であったすしが、底辺まで視野を広げて日本を代表する大衆食文化へと流れを強くして行くであろう。

 現代、大量に生産、大量消費の流れの中、職人が手にぎりで1個ずつにぎる本来のにぎりすしの味がなくなっていて、にぎりずしの本当の味が薄れつつあるもの事実。また、食する人もそのことに気付かず食することの一抹の不安感じざるを得ない。にぎりずしの誕生当時は、すしは腹いっぱい食するものではなく、おやつ代わりに食べていたそうで、おいしいすしを少々食べるのも一つの食し方ではあるまいか。そして特に江戸前のにぎりは、にぎられたらなるべく早く口へ運ぶのが一番いい。

  ともあれ 、すしは健康にいい、からだにやさしい食であるには違いない。大いに食べるべし、大いに楽しむべし。